すみっコ日和~Perfect day for sumikko~

すみっコぐらしが大好きな専業主婦の毎日

感謝、父とのお別れ。

こんにちは、日和ですf:id:sumikko335biyoriiro:20231119081925j:image

18日午後に父と最後のお別れを過ごしてきました。

私は兵庫県神戸市出身です。父との関係性はついこの間まで良いとは正直言えないなっていうものです。

今年7月、20年近く直接会う事がないまま私は東京で過ごしていましたが、あるイベントへの出席をきっかけに何も連絡をしないまま実家のインターホンを鳴らし、会えました。この日会いに行ったことで父との関係性は少しづつ変わり、母や姉とも連絡を普通に取り合う事ができるようになっていきました。

この時に会いに行けたことだけが今では最後の生前の父と直接対面し、会話をした時間です。

今振り返ると、11月1日に父の容態が急変し心肺停止になり、母は自宅で救急の説明を受けながら心臓マッサージをして…病院へ運ばれました。その連絡を受け私は姉と姉の運転する車で神戸へ向かったんです。神戸の父が運ばれた病院で対面することはできました。呼吸器をつけたままで意識が回復することはなかったのですが、自発呼吸をしはじめたという医師の説明を受け、私は一度東京の自宅へ戻りました。

どこかで父が回復するのだと信じていた私です。でも14日に母から連絡があり、再度神戸へ向かうタイミングを考える時が来てしまって…
母は父と最後は私たち娘たちに迷惑をかけないように呼ばないように約束というか、話していたそうです。

母は大丈夫って、無理はしないでねと私にも言ってくれましたが、姉は1日に神戸へ向かう途中にフロントガラスに飛び石を受けたためガラスの修理をするために神戸へ向かえるのが早くても17日の夕方、私は夫の誕生日が15日で母も希望してくれて15日は一緒に祝ってねって言われていて、それだけではなく自宅で神戸へ向かう準備をしていました。姉とも相談をしていたけれど私は16日に神戸へ移動することを決めて15日の深夜2時半ごろに就寝。

その後、3時半ごろに父の容態が再度急変し母に病院から連絡があり、母が病院へ到着した5時15分母に看取られ旅立ちました。

 

父は全てわかって、私たち娘が到着しないことも、母に看取られて旅立つことも…選んだのだろうって感じます。
私は就寝した直後で母からの連絡や姉からの連絡も受け取ることができたのは16日の朝で、姉からの着信でわかりました。母を一人で向かわせたくなかった想いはあっても、16日に新幹線で向かうことしかできなかった。姉は母と先行して連絡を取り合っていたのですがその時はなかなか電話が繋がらず…という、不思議な偶然の連続だったことは確かです。

今はその不調和な現象を私は受け入れるように理解している感覚です。全ての現象が父が母にお願いしていたことに繋がるから。私が都合よく解釈しているだけという方もいると思います。それはね人それぞれの解釈が違うからそれでいいの。

 

私は母が連絡をくれて、遅れたけれど神戸へ辿り着き父の顔をみる事ができました。母が希望して18日まで(姉も父の顔を観れるからね)安置してくれたおかげで、18日のお昼頃に神戸のひよどりにある火葬場で母娘で立ち昇る父を見送ることが叶って感謝しています。

7月に父に会いに行くまでの20年間を後悔することも、この1日から18日までの行動も後悔することはいくらでもできるのですが、今は父の良きところも、尊敬するところも、あまり良きとは思えないところも思い出です。

 

父は、電気回路の設計士でした。私が生まれた年から30年以上自営業をしていました。20歳までの20年間両親の元で生活している間、非常に厳しい父ではありました。当時は父に対して怒りも含めて様々な感情がありましたが、生活していく中で困ることがあったか?というと…衣食住に困るような生活ではなかった事。今私が起業の安定を目指す中、両親が苦労は見せることはほとんどなく私は今、両親への父への感謝を感じることができます。同時に母に頼る場所を作ることが出来ず、とても疲労困憊な日々を過ごさせてきた事実。母にも深い感謝を感じています。

再度家族4人が集まることは父が他界した時になってしまいましたが、これから母と姉とも連絡をとりながら過ごしていく事ができる状態に父が繋いでくれたのだと私は感じました。

父は有能な電気回路の設計士であったことは確かで、尊敬する一面もある父。プライドも高く融通が聞かないこともあり私も頑固になった時期もありました。父が去るこの約2週間、母と姉と私とで過去44年を振り返るような有意義な時間を過ごさせてくださった仕事の仲間と、過去に私に父に会いに行く機会を与えてくださった方々に心から感謝しています。

私事ではありますが、父の他界と私の一つの区切りとしてブログに記録させていただきました。最後までお読みくださった方、心から感謝いたします。