夜の静けさは、ときに私を不安にさせ、ときに私を安心させます。
一人で過ごす夜は、昼間の喧騒が消えたぶん、心の中の声が大きく響いてきます。


「今日の私は大丈夫だったかな」
「また失敗してしまったな」
「明日もちゃんとやっていけるだろうか」
そんな言葉たちが胸の奥でざわざわと反響して、眠る準備をしているはずの心を逆に騒がせることも少なくありません。
そんな夜、私が頼るのは一つの小さな炎。
キャンドルの灯りです。
炎を灯す瞬間
部屋の電気をすべて落とし、机の上に小さなキャンドルを置く。
火を近づけると、芯がふっと赤くなり、やがてオレンジ色の炎が揺らめき始めます。
その瞬間、部屋の空気が変わります。

蛍光灯の強い光に照らされていた空間は、柔らかく温もりのある影に包まれ、まるで別の世界に変わるのです。
炎はただ静かに揺れているだけなのに、なぜこんなにも人の心を落ち着かせるのでしょうか。
不思議なことに、火を見つめていると呼吸が自然に深くなり、心臓の鼓動までゆったりとしてくるのを感じます。
私の体と心は、この炎に同調するかのように、穏やかさを取り戻していきます。
炎が映し出す心
炎を眺めていると、普段は押し込めてしまう自分の感情が、静かに浮かび上がってきます。
「あの時、無理をして笑ってしまったな」
「本当は嫌だったのに、断れなかった」
「今日は疲れた、ただそれだけで十分なのに」
キャンドルの炎は、まるで鏡のように私の心を映し出します。
光に照らされて、暗闇に隠れていた気持ちが少しずつ姿を現す。
それは時に苦しくもあるけれど、同時に癒しでもあります。
「気づけた」ということは、その感情をやっと大切にできるから。
孤独をやわらげる灯り

一人の夜は、孤独を強く感じることもあります。
人の声が聞こえない静けさが、かえって寂しさを浮き彫りにしてしまうからです。
でもキャンドルを灯すと、その孤独が少し変わります。
揺れる炎は、私を一人にしません。
「ここにいるよ」と語りかけるように、淡い光で周囲を包み込みます。
孤独は消えないけれど、その中に「安心」が混ざる。
すると、一人の夜は寂しさだけでなく、豊かさをも持つ時間に変わっていきます。
小さな誇らしさ
キャンドルの炎を見つめながら、私はよく自分に言葉をかけます。
「今日も一日、よく頑張ったね」
大きな成果を上げられなくても、人に認められなくても、今日を無事に終えられたこと自体が立派なこと。
そう思うと、胸の奥にじんわりとした誇らしさが広がります。
この小さな誇らしさこそ、私が生きていくための灯りです。
明日への不安も少し和らぎ、「なんとかなるかもしれない」と思える。
キャンドルは、私の中の小さな自信をそっと育ててくれる存在なのです。
炎が消えたあとに
やがてキャンドルの芯が短くなり、炎が小さくなっていきます。
最後にふっと光が消え、暗闇だけが残る。
けれど不思議と、そこには寂しさよりも「満たされた余韻」が残ります。
短い時間でも炎と共に過ごしたことで、心が十分に整えられているからです。
私はその余韻の中で布団に入り、静かに目を閉じます。
キャンドルの灯りに見守られた夜は、不安よりも安らぎの方が強く残る。
だから眠りにつくのも、少しだけやさしい気持ちでいられるのです。
キャンドルが教えてくれたこと
ひとりの夜にキャンドルを灯すようになって気づいたのは、「光は大きさじゃない」ということです。
部屋を照らすには十分ではない小さな炎でも、心を照らすには十分すぎるほどの力を持っている。
大切なのは、外側を完璧に明るくすることではなく、内側にあたたかさを届けることなのだと学びました。

それは人との関わりにも似ている気がします。
大勢に認められる必要はなく、たった一人に「大丈夫」と言ってもらえるだけで救われる。私自身も、誰かにとっての小さな灯りでありたいと思えるようになりました。
夜は孤独を連れてくるけれど、同時に心を整える時間でもあります。
キャンドルの炎は、その両方を受け止めながら、私に「今日を生き切った」という実感を与えてくれる。
小さな灯りと共に過ごす時間は、決して特別ではないけれど、とても大切な儀式です。
これからも私は、一人の夜にそっとキャンドルを灯し続けると思います。
そして、その炎に映し出される自分の心と向き合いながら、
「今日も生きられてよかった」と感じたいと思います。