すみっコ日和~Perfect day for sumikko~

すみっコぐらしが大好きな在宅ワーカーの毎日

なにもしないことを選んでみる

休日の朝、目覚ましをかけずに自然に目を覚ました私は、いつもなら「今日は何をしようか」と頭の中で予定を組み始めます。

掃除をして、買い物をして、できれば読みかけの本も進めて…。
手帳に書き込んでいたタスクを一つでも多く片づけようとするのが、いつもの習慣でした。

でも、その日は不思議と体が重く、やる気も湧いてきませんでした。
ソファに腰を下ろしたまま、立ち上がる気力も出てこない。
そんな自分を見て、最初に浮かんだのは「怠けている」という言葉でした。


罪悪感との出会い

「せっかくの休みなのに、こんな過ごし方でいいのだろうか」
「もっと有意義に時間を使わなきゃ」
心の中で、そんな声が響き続けます。

SNSを開けば、友人たちがどこかに出かけたり、趣味を楽しんだりしている写真が並んでいる。
それを見れば見るほど、「私は何もしていない」と劣等感が強くなり、胸の奥がざわざわしました。

けれど、そのときふと気づいたのです。
「何もしていないことを責める声こそが、私を一番疲れさせているのかもしれない」と。


思い切って、なにもしないと決める

その瞬間、私は小さな決断をしました。
今日は“なにもしない”日だと。
掃除も買い物も、読書も勉強も、全部後回し。
ソファに寝転んで、ただ天井を眺めることを「やるべきこと」と決めてしまったのです。

最初はやっぱり落ち着きませんでしたね。すぐに「本当にこれでいいの?」という声が頭をよぎって、頭の中は迷いでいっぱい。
でも時間が経つにつれ、体の緊張がゆるみ、心も少しずつ解放されていきました。


空白の中で見つかるもの

何もしていないとき、私は「空白の時間」に身を置いているのだと思います。
その空白の中で、ふとした思考や感覚が自然に浮かんできます。

「最近、忙しさに追われて自分を置き去りにしていたな」
「本当はあのこと、無理して笑っていたな」
「やりたいと思っていたことを、後回しにしすぎていたな」

普段の生活では気づかない心の声が、静かに顔を出すのです。
なにもしない時間は、心が自分に追いつくための大切な休憩時間なのだと感じました。


自然のリズムに学ぶ

その日の午後、窓から外を眺めると、木々が風に揺れていました。
枝や葉は、風に逆らうことなく、ただ身を委ねて揺れている。
「彼らも“なにもしない”を受け入れているんだな」と思うと、心がすっと軽くなりました。

自然はいつも、無理をしません。
木はただ根を張り、葉を伸ばし、やがて葉を落とす。
その循環の中に意味があり、成果を急ぐことはない。
私も人間である以上、同じように休むことが自然なのだと思いました。


心が整っていく感覚

夕方になり、結局その日は本当に何もせずに過ごしました。
ただお茶を飲み、音楽を流し、時々まどろむ。
一見無駄に思える時間を経て、夜になったとき、不思議と心はすっきりしていました。

やるべきことは減っていないはずなのに、焦りが消えている。
「明日でいい」と思える余裕が生まれ、逆にやる気が少しずつ湧いてきたのです。
なにもしない時間は、結果的に「次に進むための準備運動」だったのだと気づきました。

 

「なにもしない」という選択は
怠けではなく勇気です

社会の価値観や自分の中の完璧主義から離れ、「ただ存在する自分」を受け入れる勇気。その勇気を持てたとき、心は本当の意味で整っていくのだと思います。

これからも私は、時々“なにもしない日”を選びたい。
それは人生にとっての贅沢であり、未来に向かうための大切なレッスンだからです。

 

 

 

 

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