気づけば、この1月も
もう折り返し地点に近づいていました。
はっきりとした節目があるわけでもなく、
「ここまで」と区切りをつけたつもりもなかったのに、
ふとした瞬間、
胸の奥に残る感覚があったんです。
ああ、
ここまで来たんだな、って。


ここまで、どんな日を生きてきたんだろう
振り返ろうとすると、
特別な出来事はあまり浮かびません。
劇的な変化も、
胸を張れる成果も、
はっきりした答えもない。
ただ、
迷った日があって、
立ち止まった日があって、
何も進まなかったと感じた日も、
確かにありました。
でもそれと同時に、
ちゃんと朝を迎えて、
ちゃんと夜を越えて、
一日一日を終えてきた。
それだけは、
確かな事実として残っています。
生きるって、派手じゃない日々の連なりなんですね
この月の前半、
私は何度も
「整え直す」ということをしてきました。
無理しないと決めた日。
何も進まなかった日を責めなかった夜。
言葉にしないまま眠った時間。
それは前に進むためというより、
壊れないための選択だったと思います。
生きるって、
ずっと前に進むことじゃなくて、
こうして戻りながら、
調整しながら、
続けていくことなんだと、
少しずつわかってきました。

うまくできなかった私も、ちゃんと連れてきた
この月をここまで生きてきて、
「もっとできたかもしれないな」と思う場面も、
正直ありました。
別の選択もあったかもしれない。
違う言い方もできたかもしれない。
でも今、
ここにいる私は、
その「うまくできなかった私」を
置いてきてはいません。
ちゃんと一緒に、
ここまで連れてきています。
それだけで、
少し誇らしい気持ちになったんです。
静かに続けてきたことを、ちゃんと見ていたい
この月、
私が続けてきたことは、
とても地味なことばかりです。
疲れたら休むこと。
無理だと思ったら立ち止まること。
言葉にできない気持ちを、
無理に形にしなかったこと。
成果としては見えにくいけれど、
確実に私を守ってくれていた行動。
もしここまでで
「成し遂げたこと」があるとしたら、
それはきっと、
自分を雑に扱わなかったことです。
それは、
とても大切なことだと思っています。
少し前の私に、今ならこう言える
もしこの月のはじまりにいた私に
声をかけられるとしたら、
きっとこんな言葉を選びます。
急がなくていい。
決めなくていい。
迷ってもいい。
そして、
思っているより
ちゃんとやれてるよ、と。
あの頃の私は、
今より少しだけ
自分に厳しかったから。


「生き延びた」という言葉を使ってもいい気がした
この月の前半を思い返して、
私はふと、
「生き延びた」という言葉が浮かびました。
大きな困難があったわけじゃない。
でも、
小さな揺れや、
見えない疲れを抱えながら、
日々を越えてきた。
それを越えて、
今ここにいる。
だから今日は、
「生き延びた」という言葉を
使ってもいい気がしています。
この先に、無理な約束はいらない
折り返し地点に近づくと、
ついこの先のことを
考えたくなりますよね。
でも今日は、
何も決めなくていい。
ただ、
「また生きていこう」
それだけでいい。
ここまでを生きてきた私なら、
この先もきっと、
自分なりに歩いていける。
そう思えること自体が、
もう十分な土台です。


終わりに 〜 ここまで、生きてきた私へ 〜
ここまで生きてきた私へ。
特別じゃなくても、
順調じゃなくても、
ちゃんとここにいるね。
立ち止まった日も、
何も進まなかった日も、
全部含めて、
ここまでの時間だった。
これからも、
無理をしすぎず、
自分を置いていかず、
静かに続けていこう。
それで十分。
それで、大丈夫。