阪神・淡路大震災
あれから、31年が経ちました。
2026年1月17日。
カレンダーを見て、「31年」という数字を、いつもよりはっきりと意識しました。
あの頃、生まれたばかりだった子たちが、いまは家庭を築いていたり、親になっていたり。
時間は確実に前へ進んでいて、それぞれの人生が、静かに積み重なっている。
そんな当たり前の事実を、あらためて感じた朝でした。
28年目の1.17については、
以前のブログにも記録を残しています。
あれから3年。
時間は流れているのに、胸の奥から出てくる記憶は、同じです。
変わらずに、そこにあります。
阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)午前5時46分に発生しました。震源は淡路島北部(兵庫県南部地震)で、M7.3の地震により、神戸市などで最大震度7を観測し、甚大な被害をもたらしました。
発生日時:1995年1月17日 午前5時46分頃
地震名:兵庫県南部地震
震源:淡路島北部(北緯34度36分、東経135度02分、深さ約16km)
規模:マグニチュード7.3
最大震度:震度7(神戸市、淡路島北部の一部地域)
あの日の揺れ。
音。
空気の重さ。
お腹に感じた照明。
細部は曖昧になっても、「怖かった」という感覚や、「当たり前が一瞬で失われる」という実感だけは、今も変わらず、身体のどこかに残っています。
年月が経つほどに、記憶は薄れるものだと思っていたけれど、実際はそうではありませんでした。
形を変えながら、日常の奥に、静かに根を張っている。
そんな感覚です。
1月17日から数日経過してのブログ投稿ですが、うまく表現できない感覚と、思い出す悲しみなど複雑な感情でした。
当時私は高校生で、弓道の試合を終えたあとの休み明けの通学の日。自宅は倒壊などはなかったけれど、気が動転して動けなかった。急に状況がわからないまま一階から呼ばれて降りていって、飼っていたワンコたちと一緒に震えるワンコたちに「大丈夫」って声をかけていた。
そのうち映像で見えるテレビの中の街の様子。言葉を失った瞬間です。実家のある居場所から東側の空は真っ黒で異様な感覚でした。どんなに年月が経っても同じように思い出す記憶と、断片的になってくる記憶があって、時々いつか忘れてしまうんだろうか?と感じてしまうこともあります。
あの日以来会えなくなった友、やっぱり心残りなんです。次の週に会おうって話していたけどそれっきりになったから。伝えたかったこと、たくさん出てきちゃう。

28年が経過した3年前は行くことが出来なかった「神戸の地」その後何度か行けるようになりました。30年近い年月が過ぎていった先にみた神戸は本当に様変わりしているところも多く、私の記憶はあの頃のままで止まっていたので、この3年の間でも何度か行くたびに書き換えていく作業が今は頭の中で起きています。
30年、ずいぶんと長い期間だから当時あったものが無くなっていたり、一部を残し続けているところもあって、またこれからも神戸へ行ったときには歩きながら知っていこうと思っています。
阪神・淡路大震災を経験したから私は東京へ行った後も被災用のリュックというものはいつも準備しています。昔に比べたらその中身がだいぶ変化していて、突然起きる災害への対策。







31年が経った今、あらためて思うのは、「忘れないこと」よりも、「思い出し続けること」の大切さかもしれません。
特別なことをしなくてもいい。
ただ、1月17日に立ち止まり、いま自分がここにいること、今日も生活が続いていることに、そっと意識を向け黙とうする。
それだけで、十分なのだと思います。
今年もまた、この日を迎えられたことを、
静かに記録として残します。
31年目の1.17。
変わらずに、ここにある記憶とともに。