こんなことはないですか。

誰かの活躍を見て、素直にすごいと思ったはずなのに、
そのあと、胸の奥が少しざわつく。
応援したい気持ちは本当なのに、
なぜか自分が小さく見えてしまう。
今日の私は、そんな気持ちになりました。
以前の私は、比べて落ち込む自分を嫌っていました。
器が小さい。
もっと自信を持てばいいのに。
比べなければいいだけなのに。
でも、「比べない」は思ったより難しいんですよね。
人は無意識に、位置を確かめようとします。
自分はどのあたりにいるのか。
どれくらい進めているのか。
ちゃんと価値があるのか。
比較は、劣等感の証拠というよりも、
「自分の現在地を知りたい」という本能に近いのかもしれません。
そしてもうひとつ。
比べてしまうとき、
本当は“可能性”を見ていることもあるんです。
あの人みたいにできたらいいな。
あんなふうに評価されたらうれしいな。
そこには、羨ましさだけでなく、
自分もそうなりたいという小さな願いが含まれている。
だから落ち込む。
欲しくないものなら、心は揺れません。
私も、誰かの結果を見て、
自分はまだまだだなと思うことがあります。
でも最近は、こう問いかけるようにしています。
「私は、何に反応しているんだろう?」
肩書きなのか。
成果なのか。
努力の積み重ねなのか。
ぼんやりした“すごい”を、具体的に分解してみる。
すると、不思議と敵ではなくなります。
比べている相手は、
奪う存在ではなく、ヒントの塊に見えてくることもあります。
それでも苦しい日はあります。
そんなときは、無理に前向きにならなくていい。
ただ、「今は悔しいんだな」と認めるだけでも、
心は少し整っていく気がします。

そんな今日のわたしに、
「落ち込むほど、ちゃんと願っているんだよ」と伝えたいです。
比べてしまう日は、
あなたがまだあきらめていない証かもしれません。
どうかその気持ちを、
自分を責める材料ではなく、
未来のヒントとして扱えますように。