こんなことはないですか。
頼まれると、つい「大丈夫です」と言ってしまう。
本当は余裕がないのに、期待に応えようとしてしまう。
断る理由を探すより、
引き受ける理由を探している自分がいる。
今日の私は、そんな自分に気づきました。

以前の私は、期待に応えることは良いことだと思っていました。
信頼されている証。
必要とされている証。
ちゃんとしている証。
だから、応えられる自分でいたかったんです。
でも、少し立ち止まって考えてみたとき、
あることに気づきました。
私は「期待そのもの」に応えているのではなく、
“期待がなくなること”を怖がっていたのかもしれない、と。
期待されると、そこに居場所ができます。
任される。
頼られる。
声がかかる。
それは安心でもあります。
だから、期待に応え続ける。
応えられなくなったら、
がっかりされるのではないか。
距離ができるのではないか。
そんな不安が、どこかにある。
私も、余裕がないときほど、
「大丈夫」と言ってしまうことがありました。
本当は大丈夫じゃないのに。

でも、断った瞬間に、
関係が少し冷えるような気がしていたんです。
けれど最近、こんな問いを持つようになりました。
「これは、応えたい期待だろうか。」
すべての期待に応える必要はない。
応えたいもの。
応えなくても壊れないもの。
そして、本当は手放してもいいもの。
分けて考えるだけで、
少し呼吸が楽になりました。
期待に応えることが悪いのではありません。
ただ、期待でつながる関係だけでは、
どこかで息が切れてしまう。
そんな今日のわたしに、
「応えなくても、消えない関係もある」と伝えたいです。

もしあなたが、
いつも期待に応え続けてしまうなら。
それは責任感ではなく、
安心を守ろうとする心かもしれません。
どうか、あなたの余白も、
ちゃんと守れますように。